ハウルの動く城 - レビューと感想

ハウルの動く城

  • 作品名 : ハウルの動く城
  • 公開年 : 2004年
  • 監督 : 宮崎駿

物語全体

物語全体を通してお話の作り方が余り上手では無いように感じられました。お話の見せ方(展開の仕方、展開させる上での緩急の付け方、起伏の付け方)、それぞれのキャラクターの見せ方など...もう少し上手く(魅力が感じられるように)出来なかったものかと思います。物語にもキャラクターにも殆ど魅力が感じられない出来になっていました。

最後まで見終えた後で振り返ると「ハウルの動く城」は「結局は恋のお話だったのだろう」と思うのですが、初見時には「ソフィーに施された呪いの行く末」や「漠然とした戦争」と言ったところ(見終えた後に思えばどうでも良い(本筋では無い)ところ)にまで目が行ってしまい、「見るべきものに焦点を合わせた上手な視聴」を行う事が出来ませんでした。初心者の姫には視聴するのが少し難しいアニメだったように思います。

視聴中には物語の向かう方向が見えなくなる(姫がそれを見失ってしまった)時間帯がありました。これは姫の視聴が上手では無かった事によるもの(何に主眼を置いて見れば良いのかを上手く感じ取れずに見ていたため)だとは思いますが、しかし、姫の能力に問題があるにしても、こう言った部分(「何に主眼を置けば良いのか」)に関しては出来れば姫のような鈍感な人間であっても容易に感じ取れるようにしておいて欲しかったです。何も考えず見ていてもそれぞれの要素を適切な着目度合いで感じ取れるように...「恋のお話」が中心であって、「魔法」、「動く城」、「敵対する魔女」、「呪い」、「戦争」などの要素はそれを描くための環境だと言うのであれば気にせずともそのように見えて来るように...もう少しお話の見せ方に工夫があっても良かったのでは無いかと思います。

見せ場に関してはそう呼べる部分が無かったように思います。見せ場として用意されていた部分はきちんとあったのだろうとは思いますが...それを見せ場だと感じなかったのだと思います。

キャラクターに関してはソフィーにもハウルにも主役格にあるべき魅力が感じられませんでした。

視聴中は退屈な時間(無感想の状態で過ぎた時間)が多くありました。特に中盤以降では興味を持って見る事の出来る部分が無かったように思います。

レビューを書くに当たっては再び「ハウルの動く城」を見たのですが、その際には最初から「結局は恋のお語」と言う視点で視聴しました。しかし、その場合でも初見時と変わらず、物語に引き込まれる事もソフィーやハウルに興味を持つ事も無く、退屈な時間があるばかりでした。視点を変えれば物語やキャラクター(特にソフィーとハウル)に魅力を感じる事が出来るかと思ったのですが、残念な事に(姫の中では)視点云々の問題では無かったようです。

戦争

物語上に横たえている「漠然とした戦争」は、それが物語の主軸と言うのでは無く、描きたい事を描くために必要な環境を作るための要素の一つとして取り入れられたものであるように見えますが、それを取り入れたがために物語全体が少々分かり難いものになってしまっているように感じました。主軸としてでは無い「戦争」を物語の上に置くのであればもう少し気を付けて(ここで言えばお話が見え難くならないように気を付けて)扱うべきだったのでは無いかと思います。

(その気を付けた結果が戦争に持たせた「漠然さ」だったのかも知れません。戦争の具体的な部分を必要としない内容にし(もしくは必要としない内容だったため)、それを見せない事で余計な部分(戦争の内容)に目が行かないように、物語が見やすくなるようにしたと言う事も考えられます。しかし、もしそうだとするなら、これは逆に物語を把握し難い(見え難い)ものにしてしまっているように思えます。情報があった方が見ている方は「把握した気になれる」ものであり、視聴者に物語を把握した気にさせるためにはもう少し情報を与えるべきだったのでは無いかと...。)

戦争に関しては...実はカブ頭が愛する者にキスをされないと解けない呪いに掛かっていた隣国の王子であり、それがソフィーのキスで呪いが解け、国に返って戦争を止めさせる...と言う結末が用意されていました。「デウス・エクス・マキナ」の登場による大団円です...。これで良いのならお話作りの何と楽な事か、と思ってしまいました。

「ハウルの動く城」では「戦争」が非常に都合の良いものとして扱われているように感じられました。「戦争」が持つ「お話作りや話を進める上での便利で手っ取り早い面」を利用するだけ利用し、不要になれば簡単に破棄して片付ける...そう言った使われ方に見えます。この物語の中の「戦争」は「漠然とた戦争」になっていますが、その「漠然さ」も「戦争」をより使い勝手の良いものにするために持たせたものだったのでは無いかとまで思ってしまいます。

勿論、お話を作る上では「戦争」のこう言った利用の仕方もあるとは思いますし、「戦争」が主軸ではありませんから都合の良いように使い最後に破棄して「これで良い」と言うのも理解出来なくはありません。しかし、これはそれが受け手側にとっても良いように働くのであれば...が前提にあっての事だと思います。「ハウルの動く城」ではそれが出来ていないように感じられました。「ハウルの動く城」に見られる物語としての筋の悪さ...それを生み出している一因にはこの「戦争の扱い方」があるように思います...。

ソフィー

初見時には「ソフィーに施された呪いの行く末」を気にしながら見ていたのですが、見終えた後に振り返ると(呪いそのものの持つ役割は重要かも知れませんが)「呪いの解ける解けない」はどうでも良い事だったように思えました。これは序盤からの「大きな目的」であるかのように見えたのですが、物語上ではそれほど重要なものでは無かったようです。最後まで気にしてしまっていました...。

荒地の魔女によって呪いを受けて老人になったソフィーは老人になった後も若い姿(身体的な能力も若返っている)を見せる事があり、また、老けている時にもその老け具合に差が見られる事がありましたが、これに関しては解釈が分かれるところかも知れません。何がその差となっているのか、そもそも現実として起こっている事なのかどうか...そうで無いとするなら、どの観点からの描写なのか、ハウルの目にはどのように映っていたのか、視聴者にだけにそう見えているとするなら何を表現しようとしてのものだったのか、身体的な能力まで若返っていた事にソフィーは何か感じるところが無かったのか...など、色々と気になるところです。(こう言った部分は本当は余り気にせずに見るのが良いのかも知れません...。)

ソフィーの受けた呪いが最終的にどうなったのかに就いても解釈の分かれるところでは無いかと思います。ソフィーは終盤に入ってからは老いた姿を全く表さなくなり、最後まで若い姿を見せたままでしたが、これは「物語の途中のどこかで呪いが解けていたのでは無いか。」と言う解釈の余地が生まれるところであり、例えば、カブ頭の呪いがソフィーのキスで解けたようにハウルとのキスで解けていた...と言った事も考えられそうです。しかし、この呪い(ソフィーの老い)は最後には物語上において(ソフィーとハウルにとって)どうであっても構わない然して重要では無いものになっているように感じられましたし、物語的には解けていても解けていなくても「どちらでも良い事」と言えそうです。「視聴者がそれぞれの好きな方に捉えれば良い事」として敢えて結末を示さないで残してある事のように感じました。(ソフィーの受けた呪いに関しては、個人的には解けた解けないを考えるだけ無意味な事のかも知れないと思いながらも、「解けていない」のでは無いかと思いました。)

登場キャラクターの声

[ ソフィー ]

ソフィーは声質が奇妙に感じられました。若い時と老人の時とで声を使い分けていましたが、中でも若い時の声には強い違和感を受けました。また、芝居では言葉の切れが悪いように感じました。少々、聞き難かったと思います。

[ ハウル ]

ハウルは声に張りが無く、軽くて浮いたような感じがあり、それが最後まで馴染めませんでした。また、声だけでなく芝居もどうかと思いました。一言で「下手」だと表現しても良いのですが、単に「下手」と言うよりは「薄くペラペラ」なように感じられ、芝居をする事を心掛けてさえいないように感じられました。

特に気になったのは普通以上(普通を含むそれ以上)の大きさの声で喋っている時です。ボソボソと喋っている分には、不出来でありながらも、それが小声である事によって目立たずに済んでいるようでしたが(恐らくこれは声を当てる人の大抵で「そう」であるように思います)、普通以上の大きさの声では下手さ加減が露になり、かなりの出来の悪さを見せていました。(小声であとうと普通以上の大きさの声であろうと不出来である事に変わりはなく...どちらかと言えばの話ですが...。)

また、ハウルでは他の「拙い人」に時折見られる事のある「未熟さ故の魅力」のようなものも感じられず、未熟なだけで終わってしまっていたのは残念でした。

声も演技も及第には程遠く、魅力も無い...何故、このような人を使ったのかが疑問に感じられました。

[ 全体 ]

ここのところのジブリ作品と同じように、この「ハウルの動く城」でも素人のような声が気になってしまい、それによって物語に集中出来なくなる事がありました。元々、人を惹き付ける力がそれほど感じられない魅力の薄い物語であるため(姫が個人的にそう感じるだけですが、)自然に惹き込まれて行くと言う事が無く、視聴に当たっては意識的に集中しなければならない作品であると言えるのですが、奇妙な声によって更にその集中が難しいものとなってしまっていました。特にソフィー、ハウルに関してはもっと適切な人間はいなかったものかと思ってしまいます...。

主題歌

主題歌は印象に残り難いように感じました。見終わって暫く経った後、どのような曲だったのかを忘れてしまっていましたので...。

これに就いては自分だけかと思い、友人達と集まってアニメの話をしている時に「ハウルの動く城」の曲を憶えているかどうかを尋いてみたのですが、その場にいた4人が4人とも思い出せずにいました...。

因みに、「ハウルの動く城」までのジブリ作品の中で4人中4人とも主題歌を思い出せなかった作品は「火垂の墓」、「おもひでぽろぽろ」、「海がきこえる」の三つでした。「ハウルの動く城」は主題歌に関しては(4人の中では)これらと同等の印象の薄さだったと言えます。

他の作品では、「紅の豚」に関しては「おしゃれっぽい歌」、「雰囲気だけは何となく憶えている」と言う結果に。「平成狸合戦ぽんぽこ」、「となりの山田くん」に関しては「曲の一部分のみ憶えている」と言う結果に。「風の谷のナウシカ(イメージソング)」、「天空の城 ラピュタ」、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「耳をすませば」、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「猫の恩返し」に関しては4人中4人が「歌詞は完璧とまでは言えないがメロディは確りと憶えている」と言う結果になりました。特に「天空の城 ラピュタ」に関しては全員が背景音楽(BGM)の内の幾つかまで憶えていました。(その後、友人達とは「ラピュタは曲も良かった」と言う話で盛り上がりました。本当はもっと「ハウルの動く城」に就いての話をしたかったのですが...。)

「ハウルの動く城」の評価 : 9点

全体を通して退屈に感じる時間が長かったように思います。特に中盤辺りからは見ていても興味を持てる部分が見つからず、その興味を持てない状態が最後まで続きました。

物語の序盤に仕掛けられた「ソフィーの呪い」の解ける解けないは有耶無耶のままに終わり、物語の中に横たわっていた「(単なる)戦争」は「デウス・エクス・マキナ」の登場によって一瞬で片付けられ、結局は...あれこれありながらもソフィーとハウルの心が近づいて終わる...それだけのお話だったように思います。即ち、一言で言えば「恋のお話」だったのでは無いかと。物語には魔法、呪い、敵対者、戦争、タイトルにもなっている「動く城」など様々な要素が詰め込まれていましたが、それらも全ては2人の「恋のお話」を描くための舞台を整えるためのものだったと言えそうです。しかし、この詰め込みが上手に働いていないのか、初見時は本筋に注目しながらの視聴が上手く出来ませんでした。視聴者の視点を惑わせる原因となってしまっているように感じました。

内容的にはファンタジーとしても単に「恋のお話」として見ても然して面白味があるようには感じられませんでした。これは単純に魅力の感じられない内容であったと言う事もありますが、見ている人間をドキドキ、ワクワク、ハラハラさせるような要素、惹き込み夢中にさせる要素が物語の中に埋め込まれていない事も(姫の能力が低いために発見出来なかっただけかも知れませんが...)原因となっているように思います。また、お話の見せ方(展開上の緩急の付け方、起伏の付け方)が余り上手では無いように感じられました。これが更なる退屈を招いているのでは無いかと思います。もう少しやり様があったように思うのですが...。

キャラクターに関しては声が奇妙に感じられたり、お芝居がきちんと出来ていないように感じられたりするところがありました。特に主役格のキャラクターは(そもそも描き方(見せ方)が今一である事もあるのですが、更に)それによって魅力を損なっている部分があるように感じました。この違和感のある声や不出来なお芝居はそれが気になって物語に集中出来なくなる事も度々ありましたし、出来れば作品内にそう言ったものが入り込まないようにしておいて欲しかったところです。(ここのところのジブリ作品では入り込まないようにするどころか積極的にそれを取り入れているように見えるですが...残念な事に。「ハウルの動く城」に関しては物語自体が退屈なので声や芝居が改善されたところで...とは思いますが...。)

「ハウルの動く城」は物語の内容も登場するキャラクターもそもそもが魅力を大きく欠いている上に物語全体、場面場面、キャラクターなどの見せ方が上手では無い事もあり、見ている人間を惹き込む力が非常に低い作品になってしまっているように感じられました。出来ればもう少し魅力的なお話であって、更に見せ方がもっと上手く工夫されていれば良かったのですが...。評価点数は9点です。

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