紅の豚 - レビューと感想

紅の豚

  • 作品名 : 紅の豚
  • 公開年 : 1992年
  • 監督 : 宮崎駿

物語全体

姫は既に人間が飛行機に乗って飛ぶ事が当たり前の時代に生まれたせいか、「紅の豚」では見ていても空への夢も憧れも感じる事はありませんでした。古い時代(当時)の飛行機で飛んでいるのも、それよりも新しい時代(現在のような形)の飛行機で飛んでいるのも、科学の力で飛ぶと言う事に関しては違いがなく...飛んで当然...と感じてしまうのかも知れません。

飛行艇による飛行場面や戦闘場面は、恐らく、「紅の豚」の見せ場であり、特にマルコ・ロッソとミスター・カーチスとの2度目の空中戦は山場として用意された場面だと思われるのですが、これらに就いてはどれもドキドキやハラハラが感じられず、残念でした。見せ場や山場となる場面ではもっと感覚を刺激する何かがあっても良かったと思うのですが...。飛行場面よりも河から飛行艇を上げる場面(これも見せ場の一つになっているものと思われます)の方がまだドキドキ感がありました。

(もしかすると飛行艇を中心とした場面では飛行艇に詳しい人が見たら何か感じるものがあるのかも知れません。姫が素人である故に殆ど何も感じなかっただけと言う事も考えられます。しかし、もし、そうだとすると「一体、誰をターゲットに作品を作っているのか。」と言う事になってしまいますが...。)

飛行艇での戦いで決着しなかったマルコ・ロッソとミスター・カーチスは飛行艇を降りた後に殴り合いによる勝負に縺れ込んでいましたが、これは...飛行艇乗りとしての飛行艇による決着を見たかったと言う人...殴り合いによる男と男の意地のぶつかり合いを見る事が出来て良かったと言う人...に分かれるところなのかも知れません。姫の場合、飛行艇での戦いでは内容が退屈なものであったため途中から興味を失い、その後の殴り合いでは、こちらもまた退屈なものであったため、更にどうでも良くなってしまい、勝敗やその方法云々よりも早く終わる事をただただ願うだけになっていましたが...。

マルコ・ロッソ

マルコ・ロッソが豚の姿になった理由は最後まで分からないままでした。マルコ・ロッソにも「紅の豚」自体にも興味が持てなかったため、これに就いては気にはなりませんでしたが、中には気になった人もいるかも知れません。姫は「分からないままにしておく」と言うのもありだと思います。

マルコ・ロッソは最後はフィオ・ピッコロのキスによって豚から人間の姿へと戻ったようでした。マルコ・ロッソが豚の姿になった経緯は不明ですが、魔法でそうなってしまったようであり、その魔法がフィオ・ピッコロのキスによって解けたと言う事なのだと思います。一見、男の世界に豚と言うファンタジー要素を一つ入れただけで描いたお話かと思えば、そこに(若い)女性を入れる事で(?)メルヘンと言う要素を一緒に持ち込んでいるようです。おじさん豚と少女、男の世界とメルヘン...この不釣合な組合せを楽しめれば良かったのですが...そうはならなかったのは残念でした。

この「紅の豚」でも素人のような声が見られました。台詞の多いキャラクターの中では特にマダム・ジーナの声が聞き取りに難くかったです。マダム・ジーナの声には最後まで慣れる事が出来ず、マダム・ジーナが話す度に声から受ける違和感が気になって内容に集中出来ませんでした。

マルコ・ロッソの声はガサガサしていて聞き難かったのですが、マダム・ジーナのような単に台詞を読んでいるだけの(つもりでは無いかもしれませんが)棒読みとは違い、台詞を読む中にお芝居を加えているようであり(極普通の事ですが、ジブリに関して言えば(初期作品を除き)棒読みの人が多く見られます)、声質の好き嫌いは別にして終わるまでには聞き慣れる事が出来ました。

「紅の豚」の評価 : 6点

物語やキャラクターが魅力的とは言えず、全体を通して殆ど興味を持って見る事が出来ませんでした。素人のような張りの無い声や棒読みの演技はそれだけでも気になって内容に集中出来なくなるのですが、中には視聴の妨げになるほど声が聞き難いところもあり(主にマダム・ジーナ)、視聴者を蔑ろにしているのでは無いか...と、あらぬ事を感じてしまう場面が幾つかありました。空を描いている場面、飛行艇が空を飛んでいる場面や空での戦闘の場面は見ている人を惹き付けるための工夫がもう少しあっても良かったのでは無いかと思います。ここが退屈なものになっていたのは残念でした。

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