海がきこえる - レビューと感想

海がきこえる

  • 作品名 : 海がきこえる
  • 放送年 : 1993年
  • 監督 : 望月智充

物語全体

中学校、高校時代の回想を交えながら現在のお話が進む辺りは「おもひでぽろぽろ」に近い感じを受けました。

物語は全体的に好みに合わず、見ていても興味が湧きませんでした。恋愛話...それも遠回りの恋愛話と言うのは...姫が見ても面白い話では無いと思います。ただ、興味が湧かず、面白いとは感じられない中でも楽に見る事が出来た(視聴に伴う難易度が低い)ところや(時間が短い事もあってか)睡魔に見舞われなかったところは良かったです。

見所は...有るのか無いのか、有るとしてもどこなのか...姫にはよく分からなかったのですが、恐らく、武藤里伽子と杜崎拓の関係とそこに見られる(余り表には出て来ない)心的変化だったり、互いの事を思う杜崎拓と松野豊の友情だったり、時間の経過によって大人へと変わるそれぞれの姿だったりと言ったところを見て行けば良いのでは無いかと思います。

気になったところ

劇中では高知の人間の誰もが当然のように高知弁を使って話していましたが、これは実際の高知でもそうなのでしょうか...。特に若い人達まであのように方言を使って話している光景は方言を持たない姫には奇妙な光景に映りました。

物語の最後、同窓会後の杜崎拓と武藤里伽子の再会の場面。高校卒業後の武藤里伽子は(出番が少なく判断が難しいのですが)高校時代とは雰囲気が変わり、高校時代に目立っていた身勝手で気の強い部分が消えているようでしたが、武藤里伽子と再会した杜崎拓がこの高校時代とは雰囲気が変わってしまった武藤里伽子を、その後、以前のように魅力的に感じる事が出来たのかどうか...その辺りは少し気になりました。(不器用な面や弱い面を持ちながらも)身勝手で気が強い部分が優勢的に外面に表れていた武藤里伽子に惹かれていたのだとすると、大人になった武藤里伽子に魅力を感じない可能性もあるのでは無いかと...。それまでとは違った形で改めて好きになると言う事もあるかも知れませんが...。

中学時代の回想場面。黒板に書かれていた「説明会は延期です」、「用紙に氏名・組と修学旅行中止についての意見を書くこと」の文章は非常に綺麗な文字で書かれてましたが、黒板にあのような整った文字を書けるのは凄いと思いました。

武藤里伽子が頬杖を付いている場面がありましたが、ジブリ作品を見ると頬杖を付く女の子が多いようです。姫は頬杖を付いた事はありませんし、今のところそれが必要になる場面も無いのですが、良いものなのでしょうか...。

武藤里伽子は声の切れが悪い上に台詞が上手だとは言えず、聞いていて不安を感じる事が多々ありました。

また、「声」ではありませんが、武藤里伽子の言葉の語尾の「のよ」、「わ」、「わよ」、「わね」、「もん」などに気持ち悪さを感じました。これらはアニメの中の女性キャラクターではよくある語尾であり(「もん」に関しては姫も話している中で使います...)、アニメを見ていれば耳にする機会も多いのですが、他の作品ではこれらを聞いてもそれほど気持ち悪さを感じた事が無いのに対し、武藤里伽子のそれに就いては非常に気持ち悪く感じるものがありました...。それがどうしてなのかは分かりませんが、武藤里伽子の声か話し方に原因があるのかも知れません...。

背景音楽(BGM)

劇中で使われた曲の多くは余り好きな感じの曲では無く、劇中での曲の使い方も好みに合いませんでした。

「海がきこえる」の評価 : 4点

「海がきこえる」は内容的には面白いとは感じられず、最後まで興味が無いままで見終えました。ただ、同じように「(姫からすると)内容的に面白いとは感じられず、最後まで興味が湧かなかった作品」である「おもひでぽろぽろ」を一例にして比較すると、「おもひでぽろぽろ」では視聴に苦痛が伴い、途中で睡魔に襲わる事もあったのに対し、この「海がきこえる」は見るのは楽な方でしたし、睡魔も襲って来ませんでした。十分な面白さが感じられない中、終わるまでの時間がそれほど(興味を持てずに見ている側から言えば「無駄」に)長くないのも良かったです。「面白いとは感じられず、最後まで興味が湧かなかった作品」であっても「おもひでぽろぽろ」よりも見ている側の負担が少ないと言え、そう言う意味では多少は(悪いなりに)良いと言えるのでは無いかと思います。4点です。

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